戦う前に負けましょう

 日本が武装することで外国との対等な交渉ができるようになる。という意味のコメントをよくいただきます。それでは非武装日本がこれまで60年間対等な交渉ができていなかったのか、というと、自衛隊が持つ軍事力やアメリカが楯となっていたからこそ交渉を可能ならしめていたのだ、と主張されるわけです。



 しかし本当にそうなんでしょうか。本当に日本は自衛隊の軍事力を背景とした外交を行っていて、相手国もまた自衛隊の戦闘能力に圧力を感じていたのか、と考えると、なんだか違うような気がします。さらに、アメリカは本当に日本外交の楯になってくれていたのか、というと、これも違うような気がします。
 イラク戦争に加担するようになる前とそれ以後の中東やアジア諸国の日本への対応の変化や、東アジア経済圏構想へのアメリカの対応などみると、そういう考え方に疑問が生じます。
では、日米安保条約を解消して米軍基地もなくし、自衛隊も戦闘機やら戦車やら戦争道具を全部なくしてしまったら、はたしてどれくらい危ないことになるのでしょうか。無防備な日本はどこかの国から必ず攻め込まれなければいけないものなのでしょうか。どの国が?どんな理由(こじつけ)で?どうやって?
 
 日本の非武装を心配するみなさんがこれまで攻め入る国としてあげていたのは、北朝鮮であったり韓国であったり、最近は中国が主流のようですが、不思議なことにこの3国に限られているのですね。その他の国は心配ないのでしょうか。
 
 仮に侵略されることが避けられない状況になったと仮定します。そのときはミサイルが打ち込まれたり空襲される前に降参しましょう。戦死者ゼロのままで。
 侵略者に日本を統治する能力はないと思うのですが、仮に統治能力があるとしたら統治させましょう。そのことによって私たちの生活にどれだけの変化があるというのでしょう。小泉(=ブッシュ)よりも、占領軍が私たちにとっていい政治を行ってくれるなら、そのほうがいいかも・・・。
かつて戦闘機ごと敵艦に体当たりさせたり、魚雷に兵士を押し込めたり、人命を消耗品として扱い、その結果原爆が落とされ、都市が破壊され、日本消滅が現実のものになってようやく「無条件降伏」することの愚挙を繰り返すよりは、よほどましだと思います。

 「無条件降伏」の結果、日本はアメリカによって統治されました。そして60年経った今日、はたして主権は回復しているといえるのでしょうか?アメリカと対等な独立国であるといえるのでしょうか。いや、真の独立国とはいえない、と考える人が圧倒的に多いのではないかと思います。ところが現在そのことを不幸であると感じながら生きている日本人はほとんどいないみたいです。人間に備わった「環境適応能力」の作用です。つまり「慣れ」です。アメリカのルールに慣れ、アメリカの文化に接するうちに、アメリカに親しみを覚えるようになってきたのです。なにもこのことが悪いといっているのではありません。むしろ当然の状態だと思っています。とはいえ、時々は冷静に自分自身の状況を考えてみることは必要ですね。(『慣れ』については華氏451度さんのすてきなエントリーがあります)

 さて、ここで今ひとつの問題は、自分たちを支配したのがアメリカだからよかったので、北朝鮮や韓国、中国だと絶対がまんできない、という観念がどうやら多くの日本人の心の中にありそうです。それはいったい何に由来するのでしょうか。そこには言いたくないことですが、民族差別の意識・無意識があるのではないでしょうか。

 北朝鮮、韓国、中国、そして日本、アメリカの現在の権力者が、この先も永遠にその立場に居続けるなどありえないことです。それぞれの国にはすばらしい人たちがおおぜいいます。「自分の国にも9条があればいい」と願っている人は、韓国にも中国にもアメリカにも確かにいますよ。けっして少なくはありません。北朝鮮はちょっとわかりませんが、必ずいてくれると思っています。そういう人たちと手を携えながら「全ての国に9条を!」の声を発していきませんか。


 今回のエントリーでは、戦争の勝ち負けによって人間の幸・不幸が決まるものではないことと、私たち自身の中の民族差別意識を取り払って考えてみると、今までと違った考え方もできるのではないか、ということを問題提起してみました。

 みなさまのご意見をお聞かせください。
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  by kobo1947 | 2006-03-09 18:21 | 日々思うこと

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