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日本は軍隊を持ってはならない!

日本は自ら戦争を仕掛ける国ではありません。他国が起こした戦争に加担するか巻き込まれる状況を想定して軍隊を持つべきかどうかを争点とした議論に、拙いエントリーをすることで私も参加させてもらっているつもりです。
これまで北朝鮮との関係を中心に、数回に分けて軍隊の不要を主張してきましたが、今回はまとめとして一応のピリオドを打とうと思います。
少し長文になります。







・公平な話し合いを望みます
北朝鮮との関係を重視したのは、アジア諸国とわが国との間では北朝鮮が一番緊張関係にあると思うからに他なりません。というのもアメリカの対北朝鮮政策が極めて強硬なものであって、その結果日本国民の意思とは関係なく戦争に巻き込まれる危険性が否めないからです。ブッシュは9.11直後テロリストへの宣戦布告をし、「テロリストをかばう国もテロ国家とみなし攻撃対象とする」と一方的に宣言した後「ビンラディンを差し出さない」としてタリバン政権を攻撃しましたし、「テロ国家」と決め付けた挙句「大量破壊兵器を出さない」ことを理由にイラクを攻撃しました。そして「テロ国家」「悪の枢軸」と決め付けた上で、今北朝鮮に「核をなくせ」と迫っているのです。すると話し合いには強力な軍事力をちらつかせることが有利と信じて疑わない金正日は、慌てて核兵器の保有を宣伝し始めました。6カ国協議ですが、どうもよくわからないところがあります。アメリカをはじめとする5カ国は、北朝鮮の核廃棄と核施設への立ち入りを求めています。それに対して北朝鮮はアメリカに不可侵条約を結ぶことを求めています。北朝鮮としては当然の要求だろうと思うのですが、不思議なことにアメリカはこの要求を拒否しています。つまり、北朝鮮の軍備を骨抜きにし、それを確認した後も安全の保証はしないといっているのです。「おまえをやっつけようと思うのだが、やっつけやすくするためにおまえ自身の手で戦闘力をなくせ」と言われて素直に従う者はどの世界にいるでしょうか。核廃棄後の安全保障という北朝鮮の要求に対して、アメリカ以外の4カ国の態度が見えないのは何故でしょう。政府が公表しないのかマスコミが報道しないのか、不可解なことです。
もしも日本に軍隊があって、実際の指揮権はアメリカが牛耳っているとすれば、間違いなくアメリカが北朝鮮に宣戦布告し、日米軍が攻撃することになるでしょう。アメリカの目的は、金正日政権を倒し北朝鮮に「グローバルスタンダード」を持ち込むことに他ならないのですから。かくして北朝鮮と北朝鮮から報復攻撃を受けた日本の領土が荒廃し、その後何が残るのでしょうか。
いま9条を変えて軍隊を持とうと考える人たちは、積極的にこういった状況を作り出したがっている、と私の目には映ります。こうした状況になっていないのは、9条があるから、自衛隊が軍隊ではないからなのではないでしょうか。

・先進諸国の思い上がり
アメリカがこのような行動をとるのは、冷戦終結後の新たな「世界秩序」の模索の一貫だと考えられます。北米、西欧、日本などの先進諸国から成る「先進圏」では、政治的・経済的な相互依存を強める中で共通の価値観と秩序を構成してきています。そしてグローバルにその他の国々をこの中に取り込んでいくことが「新たな世界秩序」へ向けての目的としていることです。そのことに抵抗する国家や民族に対しては武力をもって制することもいとわないし、現実に行われています。
しかしこの考え方は「先進圏」諸国の利己主義的な思い上がりといわざるを得ません。「先進圏」と異なる価値観を持った国家や民族は、なにもイラクや北朝鮮ばかりではないのです。世界には「先進圏」と同じ行動様式を執ろうにもとれない国、価値観の全く異なる国や民族の方がはるかに多いのです。ところがいつの間にか「先進圏」の価値観と秩序が「グローバルスタンダード」であるというふうに私たち自身の心の中にも入り込んできているのではないでしょうか。
「グローバル」かどうかはともかく、けっして「スタンダード」ではありません。それは、いかなる名目を冠していようとも、侵略行為を正当化しようとするものに他なりません。国連に加盟する全ての国々では(「先進圏」諸国も含めて)、民族自決の権利や内政不干渉、戦争の回避は、今もなお自明の原理として尊重されており、これこそが「スタンダード」であることに変わりはないのです。
このような情勢を背景に、アメリカの戦略はここ数年来変化してきているふしがあります。外国にある米軍基地を縮小もしくは撤去していることです。日本から撤去することも計画されているのかもしれません。勿論これはアメリカが平和主義になったからではなく、アメリカの戦争を他国に行わせることが目的です。膨大すぎる軍事費を抑え、孤立を深める傾向にもストップをかけ、自国民の生命や財産を失うことなく目的を達成しようという、実に虫のいい戦略です。

・軍隊を持たないことこそ真の強さ
ところで1985年3月、イラン・イラク戦争でイラク軍がテヘランに空爆を開始、在留の外国人が脱出のために空港に押し寄せたが、日本の航空会社は現地に就航していなかったため、邦人が孤立。トルコ政府が救出のために急きょ特別機の派遣を申し出、トルコ航空機によって約250名の邦人が救出されるという出来事がありました。この危険な任務をトルコの人々がすすんで受け入れてくれたのには理由があったのです。1890年の『エルトゥール号遭難事件』の際、トルコの遭難者が日本の貧村の人々によって救出され手厚くもてなされました。このことがトルコで大きな感動を呼び、以後トルコの歴史教科書に載ることにまでなったのです。トルコの人々は子供の頃から当時の事実を教えられ、100年経ってもなお日本人に好意を寄せてくれていたのです。このように国籍を問わず人を「死なす」ことではなく「生かす」ことに献身する行為は、誰の心にも深い感銘を与え後々までも記憶に刻まれるものなのでしょう。
同様のことがイラクにおいてもいえるのではないでしょうか。日本はイラクへの経済協力を長年にわたって行ってきました。軍事的野心を懸念する必要のない日本の援助およびNGOのボランティア活動は、イラクの人々の歓迎するところであり、日本は彼らにとってこの上ない好意と感謝の対象でした。自衛隊がサマワに駐留してからは何人のイラク人が報道カメラに向かって「どうか帰ってほしい。日本人に銃を向けることはしたくない。」と言ったことでしょう。今のところサマワの自衛隊がイラク反米勢力による攻撃を受けていないのは、イラクの人々によって守られているからだと、私には思えるのです。
中村哲氏(ペシャワール会医療サービス)は「日本人が外国でその国の人々が本当に求めている活動を行うとき、もっとも強い支えとなるのが憲法9条。9条を理想論という人がいるが、それはあまりにも現実を知らなさ過ぎる。9条を変えて軍隊を持ったなら私たちの活動はほとんどできなくなるだろう。」と述べられています。高遠菜穂子さんや郡山総一郎さんからも同様のお話を伺いました。

・軍隊は国民を守るものではない
9条を変えて軍隊を持つべきという理由で多いのが、軍隊がないといざというときに政府は国民を守れないというものです。はたして軍隊は国民を守ってくれるのでしょうか?ここに誤解があるように思えてなりません。軍隊の使命は国防です。国を守ること。わが国で国という単語が使われる場合、それは国家(体制)を意味します。お上、公も同義として使われることがあります。いずれにしろ国とは国民もしくは個人とは対立概念にあります。国を守るためなら軍隊は自国民に対しても銃を向けることも珍しいことではありません。20世紀は戦争の時代ともいわれ数多くの人々が軍隊によって命を奪われました。その半数以上が実は敵軍によってではなく自国の軍隊によって殺されたということです。政情不安定でクーデターが繰り返されるような国にあっては、もっぱら自国民を殺すことしかしないような軍隊もあるほどです。
コスタリカという中米の小国は日本と同じく軍隊を捨てた国です。内戦が繰り返されそのたびに多くの国民が犠牲になる、そのような状況をなくすべくコスタリカの人々は軍隊をなくす大統領と政府を選んだのです。現在中南米で最も民主主義が安定している国と言われています。ご存知のようにコスタリカの周辺は日本とは比較にならないほど緊張状態にあるのですが、「外国から攻められたら誰が国を守る」というのとはまるで異なる発想で国防を考えていることは確かです。
第2次大戦で日本が無条件降伏した時点で中国には大勢の軍隊と民間人がいました。中国人民軍からの報復を恐れた帝国陸軍は、なんと、民間人を護衛することなく逃げたのです。幼い子を連れては逃げることのできない人たちは、泣く泣くわが子を知り合いの中国人に託しました。沖縄では敗戦後であるにもかかわらず、「1億玉砕」のスローガンのもと、帝国軍は多数の自国民を殺したのです。「国体護持」と「万世一系の天皇」を守ることを義務付けられた軍隊であってみれば、それらに見られる行動はむしろ当然のことだったでしょう。

・永遠に丸腰で
紛争を解決する手段として武力に頼るということは、すなわち理性の敗北を意味することではないでしょうか。長中距離ミサイルならいざしらず、テポドンが発射されたらこれを海上で迎撃するなど不可能なことです。そういう事態にならないよう私たちは理性を働かし最大の知恵を結集して平和と友好に努めようではありませんか。戦争に悪も正義もありません。攻撃されたら大声で近隣に助けを求めましょう。その結果自分が死ぬことになるのであればそれでもいい。自分の命と引き換えに、子孫に『誇り』を残してやれると思いませんか。憲法前文にある「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占め」るとはこういうことだと解するものです。

  by kobo1947 | 2006-01-26 12:28 | 日々思うこと

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