「愛国心」は憲法に明記することか?

教育は「信仰」の押し付けであってはならないという[itall]さんの記事を読みながら今日思ったことを・・・

e0084918_1242690.jpg12月24日の《ウエークアップ・プラス》(読売テレビ)では、「愛国心を憲法に入れるべきかどうか」をテーマに討論会を行っていました。コメンテーターは、塩川正十郎、三宅久之、井筒和幸、森本敏、香山リカ、勝谷誠彦。辛坊治郎の司会ぶりは合格点。

さて、憲法の「自民党案」や「中曽根案」に共通しているのは、国民が愛国心を持つことを憲法にe0084918_136142.jpg明記することです。いうまでもなくこれら案における「愛国心」の対象である「国」とは「国家」という抽象概念であり、意味するところの本質は「お上」に他なりません。国民の生命・財産や郷土愛、伝統を意味するというなら、それらは本来人間に自然に備わっているものであり、憲法に明記することではないからです。
そもそもこのような発想が生まれるのも、憲法を国民を縛る道具という、全く逆転した考え方に由来するのではないでしょうか。主権在民を標榜する国家にあっては、国民の意思と異なる方向へ時の権力が向いて行くことのないようにするための、権力の手を縛るための規範が憲法なのですから。

e0084918_1261271.jpg放送ではこの点を踏まえて井筒氏が「愛国心持たなくてもええと思う。」と発言。すかさず三宅氏が「国を愛せない者はこの国から出て行ったらいい。」と応酬。三宅氏をテレビで見る度に思うのですが、どうしてあんなにヒステリックなんでしょう。他の人が発言途中であってもおかまいなしにヒステリックに叫ぶ。こんな人物がよくもあちこちの放送局に出演していられるものだと、放送局の常識さえ疑いたくなってきます。さすがに井筒氏も「これでは討論のし甲斐もない」とつぶやいてました。
「愛国心」を憲法に明記すべき:三宅、森本、塩川
「愛国心」は憲法に明記すべきことではない:井筒、香山、勝谷

「お上」を信じて素直に従ってさえいれば、平和に暮らせる。―という心情は日本人特有のものかと思っていましたが、どうやらそうではない、ということを最近『茶色の朝』という本を読んで知りました。摩擦や面倒になることを避けたいばかりに、「変だな」と思うことがあったとしても、あえて自分で理屈を考えて肯定していく。気がつくと世界がすべて茶色になり、かつて茶色でない犬を愛玩していたという理由で、逮捕されてしまう・・・
怖い話ですが、今の日本はまさに茶色に染められつつあるように思えてなりません。
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  by kobo1947 | 2005-12-25 01:08 | 日々思うこと

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